フランス王妃としてベルサイユ宮殿で生活したマリーアントワネット。
ベルサイユ宮殿でのマリーアントワネットの部屋ではいったいどんな生活だったのでしょう?
また、マリーアントワネットが結婚した国王フランスルイ16世との間に生まれた子供たちについても調べてみました^^
もくじ
ベルサイユ宮殿で過ごしたマリーアントワネットの部屋での生活とは?
窮屈なベルサイユ宮殿生活
14歳という若さでオーストリアからフランスへと嫁ぎ、フランス王妃としてベルサイユ宮殿で生活したマリーアントワネット。
ベルサイユ宮殿の生活のなかでも、マリーアントワネット自身の部屋での生活はどんな風だったのでしょう?
ベルサイユ宮殿での王族の生活は規則が大変厳しく、1日のスケジュールが分刻みで決まっていて、それに伴いマリーアントワネットの部屋にはマリーアントワネットに仕える侍女たちが常にいて、着替えの服を用意する係・ベッド役割…各自の役割が細かく指定されていた侍女たちが常に給仕していたそうです。
ベルサイユ宮殿には起床から政務、食事、儀礼など王家としてのいくつものしきたりが求められていましたが、別の側面では、そんな王家の家族の日常生活を周囲に見せることで、絶対王政への求心力や忠誠を植え付けることもできた、との考え方もあります。
華やかなベルサイユ宮殿の王妃さまだったとはいえ、実際は”自由”とはかけ離れた生活をマリーアントワネットは送っていたのですね。
マリーアントワネットの出産は公開?!
マリーアントワネットの出産はベルサイユ宮殿の貴族たちだけでなく、一般市民までもがマリーアントワネットの部屋にまで押しかけて自由に見ることができたという公開出産だったそうで、とてもプライベートが守られているとは言えない生活だったようです。
公開出産にはワケがあって、王の世継ぎの子がすり替えられていないかを廷臣たちがチェックするために行われたという目的があったんですね。
国王フランスルイ16世との愛のない政略結婚によるむなしい生活を紛らわすため、マリーアントワネットはパーティや浪費に時間とお金をかけて、生活に楽しみを見出したという見解も納得できます。
それでもベルサイユ宮殿での退屈な生活に息が詰まってしまったかわいそうなマリーアントワネットは、国王フランスルイ16世に頼んで作ってもらった別邸プチトリアノン宮殿で、多少のプライベートが守られた空間で質素な生活を楽しんだり、母乳で自分の子供を育てるなど、子煩悩でごく普通の生活を求めていたということも分かっています。
ベルサイユ宮殿でマリーアントワネットの子供たちとの生活はどうだった?
マリーアントワネットの子供は何人いたの?
マリーアントワネットは国王フランスルイ16世との間に、5人の子供を産んでいますが、1人は流産、長男のルイ・ジョセフと次女のマリー・ソフィーは幼くして亡くなっています。
長女のマリー・テレーズと、次男のルイ・シャルルだけが無事に成長に、フランス革命をむかえます。
マリーアントワネットの子供はその後どうなった?
フランス革命のため、1793年に国王フランスルイ16世とマリーアントワネットが処刑されてしまったあとの、長女のマリー・テレーズと、次男のルイ・シャルルの運命は過酷なものでした。
長女のマリー・テレーズと次男のルイ・シャルルは塔の一室に別々に幽閉されますが、その牢獄の環境は劣悪なもので、2年後ついに次男のルイ・シャルルは体調と精神に異常をきたし、10歳という若さで、亡くなってしまいます。
唯一長女のマリー・テレーズだけがフランス革命を生き延び、のちに母であるマリーアントワネットの祖国オーストリアへ戦争捕虜として亡命することができました。
そしてのちに、父方の従兄と結婚し、子供をさずかることなく、残りの人生を信仰に救いをもとめ、73歳に肺炎で亡くなりました。
晩年は夫と余生を穏やかに過ごし、夫を看取り、自身も天寿を全うしたのでした。
ベルサイユ宮殿のマリーアントワネットの部屋での生活とは?子供はいたの?【まとめ】
以上、フランス王妃としてベルサイユ宮殿のマリーアントワネットの部屋での生活と、マリーアントワネットの可哀そうな5人の子供たちについて調査してみました。
豪華絢爛なベルサイユ宮殿で贅沢な生活ぶりばかりが強調されがちなマリーアントワネットですが、実際はもっと素朴で人間らしい生活や人生を求めていたのかもしれませんね。
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